2016/03/20
わたくし、日々、企業のPRのお手伝いをしております。
そんななか先日、広告界隈の方が、あるPR界隈の人間をさしながら「彼らは広告を下に見ている」というのを聞き、軽く衝撃を受けました。
いやー、そんな訳ないでしょう。
少なくとも広告がカバーする領域、予算は、往々にして狭義のPRのそれよりはるかに大きい。広告予算がPRに流れているというトレンドはありますが、そもそも案件の規模が違う、という印象です。
もっとそもそもでいうと、企業のコミュニケーションやブランド構築は、広告とPRが一体になって、事業活動と連動しながら行われるものでは?広告が上だのPRが上だのいうのはハテ?
と思いましたがそういう場でもなかったので聞き流しました。
せっかくなので企業コミュニケーションを概念図にすると上記のイメージです。
そしてその発言について逡巡しながら、いくつか思うところありました。
PRで狙う露出は、無償(ノンペイド)か、有償(ペイド)でも媒体の方針に沿う記事広告(ステマではありません)といったところで、コンテンツの編集権は媒体にあるのでコントロールできません。
これが広告であれば、大きな予算で枠を買い、クリエイティブやコピーを制作したりして、コントロールしたコンテンツを載せる。
同じ方向を向いて露出を狙うとしても、PRはネタの作りこみと媒体への伝え方が、広告はコンテンツと枠の作りこみが、結果を左右するかと思います。
その過程で、PRからみて広告がラクそうに見えるのは、お金があれば載せられる、という点かと。
PRはネタが悪ければ載せてもらえないので、ひとつの素材をどう取り上げてもらえるかが挑戦です。
一方でPRからみて広告が大変だなと思うのは、上流から下流までその人工、労力の膨大さです。
オシリはあるのに終わりがなさそうな広告の仕事に、いつも感服します。
また時間軸でみると、PRの中長期性からみると、広告の短期性は驚くものがあります。
ずっと機織りしている人間が、横で花火の打ち上げを見るような感覚です。
広告でもPRでも、だれがどう性格いいとか悪いとかアタマいいとか悪いとか、そんなのもあるのかもしれませんが、こうした違いが冒頭の発言を生んだのかな、と解釈しました。