2016/05/22

PR考 - 「水のような空気のような」

四半世紀前、大学のマスコミゼミに入り広告の授業を受けたとき、「そもそもメディアって何だ?媒介となるもののことだよね。じゃあどうしてマスコミを研究したいの?」と問われ、「え、そんな根本的なところ揺さぶるの...?」と驚いた記憶が、よみがえってきました。 

 

きっかけは、ふたりの起業家が発した、「水のような空気のような」という言葉でした。

 

はじめにその表現を聞いたのは、タイプディレクターの鈴木功さんからでした。

鈴木さんが、書体メーカーのタイププロジェクトを創業して15年。1フォントが約1万字にのぼる日本語書体は、着想から開発、流通、浸透の一巡に10年単位の年数がかかる製品です。

ひとの手が生み出すデザインとエンジニアリングが、長時間かけ緻密に連動して初めて良質のフォントになる。

そんな骨の折れる制作と経営を担う鈴木さんが、嬉々として語ってくれるフォントの存在とは、使うひとにとって「水のような空気のような」もの。

フォントは、主張し過ぎて表現者の声にノイズを入れるようではいけない。フォントは表現者が、その時に、伝えたい声色や強弱などをちょうどよく表すために選んで使う、「用の美」に徹するもの...。 

それを聞いて、鈴木さんが、生み出すひとつひとつの書体 (タイプフェイス)のプロジェクトへの思いを、シンプルなタイププロジェクトという一般名詞の組み合わせで社名にした、そこにある美学が見えた気がしました。

  

図らずも同じ表現を聞いたのは、まったくの畑違い。医療分野、日本エンブレースの伊東学さんからでした。 

伊東さんは鈴木さんと同じく創業15年、医療介護関係者向けのメディカルケアステーションという仕組みを作っています。

これだけスマートフォンもソーシャルメディアも浸透した今日ですが、医療のデジタル化、ネットワーク化による改善はまだ道半ば。そんななか伊東さんがこの15年間作り続けているのは、赤ちゃんから高齢者までを網羅する医療介護関係者が、状況に応じて最適なケアを、不安なく簡単に実現できる枠組みです。

全国の医師会をはじめとする医療介護に関わる使い手が、どのメーカーのどの規格か等を気にせずに、抵抗なく自然に使えるツールは、「水のような空気のような」ものでなければいけない。

こうした思いが、メディカルケアステーションのシンプルな画面と使い勝手、日本エンブレースというシンプルな名前になっています。

 

書体と医療サービスという、異分野の起業家の共通点。

それは、目につくことなく鼻につくことなく、ひとの役に立つこと。

それが「水のような空気のような」というふたりの言葉になっている、と思いました。

 

わたしは、PRをなりわいとし、企業や組織のコミュニケーション領域を担っておよそ20年になります。

歴史的にPR (Public Relations)活動が前世紀、マスコミと連動して形成されてから約100年。

そこで冒頭の「そもそもメディアって何だ?」という疑問に立ち返ります。

 

今や、情報媒体には、マスコミはもちろんソーシャルメディア、オウンドメディア、広義でいうと書体も画面もひとも、あらゆるものが含まれます。

この時代にPRを担うということは、受け手が「水のような空気のような」ものとして受容して役立てられる、情報や場面を届けることだと思います。 

必要なのは、戦略か戦術か、認知か共感か...といった一義的な言葉遊びに陥ることなく、相手が水のように空気のように欲するものを組み合わせ、目につかない鼻につかない形で届け続けること。

それが今の社会の役に立つPRのあり方かと思います。

 

「水のような空気のような」起業家の志に触れて、自身のPR職業観がストンと更新された気がしました。